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~第3回の意気込みと「いのち」のテーマの由来~

いじめによる自殺が増え、「いのち」が取りざたされるようになってきました。

「生きろ!」
「死ぬな!」

色んなところでそんな言葉を聞くようになりました。
でも、肝心なところが抜けている気がする。
so why?

「なぜ生きるのか」

究極的に言うならば、それは哲学的な問題でもあり、答えは出ないのかもしれません。
逆に答えが明確なこと、ある一定の答えを強要することは避けるべきことだとも思います。

でも、それでも。
ひとつの答えを、あなたの答えを、ゲストの答えを聞いてみたい。
そんな思いから、「いのち」をテーマに選びました。
それは、「いのち」について周囲の人と語り合ったことがほとんどないから。

確かに「いのち」というものは荘厳で、口で簡単に話すようなことではないのかもしれません。
そしてキレイゴトで済まされるような話でもない。

でも、口に出して話すからこそ考えられることもあるのではないか、と思うのです。
「いのち」が簡単に失われてしまう現在だからこそ、正面から向き合う機会があっても良いのではないか、と。

so How about you?
私は。

「なぜ生きるのか」
この問いに中3のときに苦しみました。
原因は、受験の失敗。友達のほとんどが志望校合格。
そして、守ってくれるだろうと思っていた人からも、思いがけず愛想をつかされました。

相談できる人がいない。
本当にひとりぼっち。

私なんて勉強もできないし、
きっと社会でも役になんて立てないし、
むしろ迷惑かけるだけだし
私が生きる価値なんてないし。

私は無表情になって笑うことができなくなった。

生きることをやめたい。

真剣にそう考えていた。

来週の今日は、もういないのかなあ、そう考えると寂しいな、とか。
思うことはそんなことばかり。
晴れていても視界は暗く、洞窟の中にいるようだった。

でも、私は結局生きることをやめなかった。

今何も出来ないなら、何か出来る人間にこれからなればいい。
勉強できないなら、いまから勉強すればいい。
くやしいなら、見返してやればいい。

そんな転換があったと思う。

あと一日、あと一日トライしよう、それが延びたという感じである。

振り返ってみて、いま私はいのちを捨てなかったことを良かったと思っている。
そして中3のあのときに「いのち」と向き合えて良かったとも思っている。
腐りかけた根っこに、水と肥料をまくことが出来たからだ。

そしてなにより、高校・大学の間に、中3のときには思いもしなかったような多くの素敵な人たちとの出会いや、私には絶対出来ないだろうと思っていた経験をたくさんすることが出来たからだ。

「なぜ生きるのか」

その明確な答えは言葉では言い表せない。
でも、人は生まれ、やがて死ぬ。
でもきっとリレーのように人はこの地球で生きていく。
それならば、その地球をちょっとでも良くできればいい。

そして生きている限り、明日は違う自分に会える。
そんな人生に私は興味と魅力を感じている。
そして私はいつの日か自分自身の家族に会いたいし、
就きたい仕事がある。

今の私が答えるならば、答えはこれである。
「明日の私に出会うため。」
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