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現代を問いかける写真家-と言い表せば良いだろうか。
私が岡田さんの作品を知ったのは、「週刊金曜日」においてだった。
「愛情の反対は・・」というマザーテレサの言葉が目をひいた。

そしてその横にあるリストカットの写真。

写真の中の対象として見るリストカットの傷跡は、意外にもあっさりとした印象を受けた。

「ふうん」

そんな私をよそに、やはり目をそむける人が大多数である。
それはある意味普通の社会である。
でも、誰にも何も言えずに手首を切り続ける人もいる。
この差は何だろう。何か出来ることはあるのだろうか。

私が驚かなかったのは、友人の何人かがリスカをしていたからかもしれない。

当時無知だった私は、必死にリスカをやめさせようとした。
本当に命を絶つのではないかと思ったから。

けれど、どうやらリストカットには違う要素があるらしい。
それを知ったのは、夜回り(水谷修)先生の講演においてである。
「リストカットはね、やめなくてもいいの。
苦しいよ、っていうことを表してるの。」

そこからリストカットのイメージが変わった。

ユーストークの依頼を岡田さんに快諾していただいてから、岡田さんの著書に触れた。

熟読したのは『リストカット・・・誰か気付いてくれたら』(窓社、2004年)

岡田さんとの対談を通して、リストカットをする人の心が見えてくる、不思議な本である。

この本を通して、<リストカットをする人>とは決してくくれず、一人ずつ違うことがわかった。
リストカットをする理由はひとつじゃない。

でも、共通することは、何かに不安だったり、何かが欠けていたり、という現状を、どうにかしたい、という思いなのかな、と思った。

夜回り先生の話では、リストカットでは死なないとのことだったが、それを繰り返していた人がオーバードーズで亡くなった例もある。

やはり、リストカットはいのちに関わる何らかの危険信号であると私は思う。

だからこそ、考えたいリストカット。
写真家である岡田さんの視点からリストカットを見つめてみませんか。

★12月2日(土)
ユーストーク第3回「いのち~生きることを考える~」
みなさまのご参加をお待ちしています。
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